そもそも矢野氏のパリ入りはデザインホテル視察が目的だったのです。ひょんなきっかけで図面がこうもスピーディに仕上がるとは誰しも予想だにしていませんでした。決まると早いのはいつものことです。クリスマス前にオープン!、と的を絞り各自それぞれが出来得る限りの力を、気持ちを集中させオープンに向け準備に取り掛かりました。

パート(1)でも申し上げましたシェフのミラクルパワーが炸裂し始めました。通常、都内のど真ん中に事務所を構える矢野氏は物理的に常時パリで諸々の指揮にあたることはできません。パリジャンである施工担当の親方、その下に就く職人たちを予定通りに動かし、専門家の立場から随所を確認しながら指揮をとる人間が必要です。いくら器用な青木シェフと言えど限界がありますし、他にやることが山積みです。すると全くオンタイムなタイミングでパリ在住若き建築家の米川淳君が登場。フランス語でコミュニケーションが取れ、穏やかな人柄ながらビシッと絞める点、優れた美的感覚を持つなどなどシェフの信頼を得るに時間は全く必要としませんでした。こうして現在においてもシェフが動く際、要となるキーパーソンたちが揃いました。私ごとですが、98、99年のパリでの花留学を終え、再度パリへ戻ったのが2001年。フランスにおける正規労働滞在許可書が30分というスピード発行で降りたのが、物件を確保したシェフからの電話のちょうど前でした。シェフには「いやーそれは良かったぁ。これで一緒に仕事ができるよ。」と言われたものです。全くその通りで入手困難な許可書でしたから、仮に降りていなければ恐らくノエルのオープンだけを見て帰国することになっていたかも知れません。
このような不思議なタイミング、巡り合わせによって全てが動き始めたわけです。

一人の同胞の強い信念にそれぞれが夢を持ちました、突き動かされました。「青木と事を起こす」、その思いが全てのタイミングを絶妙に作り出したのでしょう。「うまい菓子を作る。皆に喜んでもらいたい。」と青木氏の言葉はシンプルです。しかしながら裏付けされた力量が並々ならぬものであることも承知しています。菓子作りのテクニックのみをさしてはいません。決して変ることのない基本、と同時に進化してゆく彼を見守りながら、我々自身も自らのライフスタイルのかなり重要な部分として大いに楽しんでいる次第です。仕事を楽しむ、心からそう思える、こうして言えることが一生のうちで如何ほどあるでしょうか。楽しみを維持するためには時には踏ん張ることも必要です。それでも尚、このプロジェクトに関わることに幸せを見出している我々です。

と、今日は話が長くなりましたが、私のお気に入りはシュー・ア・ラ・クレームです。どうぞご賞味あれ。